悲しみの傘

俺んちの玄関には、普通より少し大きめの傘が掛けてある。 俺が一人の女のために買った傘。




そいつ―はすごく恥ずかしがりで、普段は手も繋げないような女だった。 でも、何故か雨が降るといつも突然やってきて、
隼人、出掛けよ!
と言って俺を街へ連れ出し、その日だけは嬉しそうに、俺の傘へ入って一緒に歩いていた。 二人で入るには普通の傘じゃ小さいから、と俺はこの傘を買ったんだ。 俺は雨なんて好きじゃなかったけど、の笑顔が見れるならこうして出掛けるのも悪くはないと思っていた。 そのぐらい俺はが好きだった。愛していたんだ。




でも、もうここにはいない。




今夜も窓の外はどしゃ降りで、俺はあの日のことを思い出していた。 と最後に別れたのも、こんなどしゃ降りの日だったから。 何で別れなきゃいけなかったのか、俺には思い出せない。 いや、思い出したくないんだ、きっと……




その時、は傘を差していなかった。交差点の向こう側に立って笑顔で手を振っていた。 もしかしたら泣いていたのかも知れないけど、雨に濡れてたからそれは分かんねぇ。 俺はと別れたくなくて、でもどうしたらいいかわかんなくて、ただ名前を呼ぶことしか出来なかった。

冗談だろ、早く戻って来いよ!
…っ!!
でも名前を呼べば呼ぶほど、の姿は遠くなっていく。
何でだよ!どうして……
俺がそう呟くと、それが聞こえたかのようには振り向いた。




ごめんね…




最後に何か言ったけど、俺には届かなかった。 俺の耳に聞こえていたのは、傘にあたる雨音だけ…




そして、は去ってしまった。




一人で使うには少し大きすぎるこの傘。がいなくなった今では、もう使うこともない。 だけど、俺はこの傘を処分する気はねぇ。この傘にはとの思い出がたくさん詰まっているから。




あの時は、こんな日が来るなんて思ってもみなかった。 そんな時間も、今では嘘みたいに当たり前になっている。 でも、この傘ととの思い出、そして俺の中にいるはいつまでも消えることはないだろう。 今でも、俺はを愛しているんだから。